たまちゃんのひとりごと(2010.12.30)

夢の雲取山登頂記

 2010年の暮れも押し迫った12月29日から30日にかけ、小生はほろ酔いMTB(マウンテンバイク)隊恒例の雲取山荘での忘年会に参加するため、雲取山への初登頂に挑んだ。以下は、ちょっと情けなくも夢(?)のような大名登山の気分を味わった小生の登頂記だ。一部に脚色も加えたが、最後までご高覧いただければ幸甚だ。

雲取山

車中で小宴会

 雲取山は標高2017m、東京都の最高峰で埼玉・山梨両県との境界に位置し、日本百名山の一つにも選ばれている。参加メンバーはMTB隊常連の4氏の他に3年ぶり2回目のA氏、出発日前夜の納会で飲み過ぎてドタキャン続きのY氏、それに小生の計7名だ。
 一昨年まではJR線奥多摩駅からお祭バス停〜三条の湯経由のコースだった。が、出発時刻を遅くでき、アップダウンの山歩きが楽しめる三峯神社をスタート地点とするコースに昨年から変更したとのことで、西武線田無駅発午前7時28分に乗車。同線所沢駅で「ちちぶ5号」に乗り換えた。
 毎度のことながら、車中では早速小宴会が始まった。小生は40数年ぶりの登山と最近痛み出した外反母趾が気になり、缶ビール1本に留めた。どうも割り勘負けしそうで、ちょっと悔しい気もしたが、夜の部で挽回しようと気を取り直した。
 幸いなことに外反母趾を心配したMTB隊のT氏から、靴のサイズが同じなので幅広の自分の山靴に履き替えたらどうかとの提案があり、有り難く受け入れることにした。あれこれ履き心地などを確かめるうち、電車は同9時前に秩父駅に到着した。
 酒を愛するMTB隊のN氏がバス出発時までのわずかの間に、秩父の地酒を調達してきた。「蛇の道は蛇」と言うか、「藪の中は蛇」と言うのか、実に嗅覚が鋭い。持参してきたものと合わせ、日本酒は約4升。それに一人当たり缶ビールも2本残っており、酒は十分で今夜が楽しみだ。
 バスは登山客と神社の参拝客計約20人を乗せ、同9時10分に出発した。久しぶりの登山に心がはやる小生は、ロングスパッツの準備に取り掛かったが、不慣れでどうもうまくいかない。Y氏の手助けもあり、どうにか着用できた。車窓から山間の栃本集落などを遠望するうちに、同10時半ごろ神社の駐車場に到着した。

出発前の7人の雄姿

 

いざ雲取山へ

 冬枯れた四方の山々には雪がまだら模様に積もり、ピーンと張り詰めた寒気が肌に心地よい。先ほどのバスの運転手が、われわれが目指す雲取山を教えてくれた。天気の良い日には雲取山荘も見える、という。指呼の間ではないか、それほどの距離ではないように思えた。
 小用を済ませ、事前に一行の雄姿を写真に収めた。天候快晴、微風有り。神域の森が発するフィトンチッドを浴びながら、薄く積もった雪と霜柱を踏みしめながら勇躍歩き始めた。山靴の感触が実に気持ちよかった。
 しばらく歩いた所で小休止を取っていると、単独行の男性が追い付き「皆さん、とても元気ですね。わたしはついて行けないですよ」などと声を掛けられ、気を良くして再出発した。正午前、上りがややきつくなり始めた霧藻ヶ峰前のベンチで、昼食を取ることになった。
 MTB隊のH氏が担いできてくれた7人分のおでんセットを素早くコンロで温めた。疲れと冷えた体には温かい食物が一番で、スープも飲み干した。先ほどの男性が追い付き、男性もここで食事となった。聞けば、名前はY’氏で60代、小平市在住だという。Y’氏からチョコレートをありがたく頂戴した。山の話などをあれこれするうちに、かなりの経験者であることが容易に想像された。

 

アイゼンで一苦労

 体が冷え切ってはいけないので、アイゼンを着け出発することになった。しかし小生は、アイゼンには前後左右上下があるのを知らず、着け方がよく分からない。MTB隊のS氏らの全面的なサポートを得て、ようやく装着に成功。生まれて初めてアイゼンを着けて歩くことになった。
 ここからはY’氏も同行することになったが、山道はいよいよきつく雪も深くなってきた。不慣れなアイゼン歩きと、ベルト無しのズボンがずり下がり歩きづらいことと言ったらこの上ない。60代のおじさんによる腰パンスタイルの歩きとなった。さらに踏み固められた雪の筋道を外すと30cm以上の深さがある新雪に足を取られ、疲れが倍加してきた。どうして参加したのか、後悔した。
 日ごろテニスで鍛え、40数年前には小説「聖職の碑」の舞台となった故郷の木曽駒ケ岳(標高2956m)にも登ったが、どうも脚が思うように動かない。みんなに「まるで熊のようだ」と笑われるのもかまわず、樹木に寄りかかったり雪上で寝転び休憩した。雪上の休憩は火照った身体にひんやりと気持ち良く、このまままどろみたいぐらいだったが、後でこの行為が身体に大きなダメージを与えるとは思わなかった。

 
雪上で寝転び休憩中の小生

 

「近くて遠きは田舎の道」と言うけれど

 霧藻ヶ峰からは下ったり上ったりの道が続き、熊さんポーズの休憩を何度も繰り返しながら、白岩山着。そのころには三条の湯コースで登頂経験のあるA氏にも疲れが出てきた。先ほどから脚のけいれんを心配しながら歩いているのだ、という。自分だけではないのだと少し気が楽になった。H氏らが残り○キロ、あと○時間と声を掛けて励ましてくれたが、目的地まではまだまだあるようだった。「近くて遠きは田舎の道」という言葉があるが、山道の遠さはそれをはるかに上回っていた。
 雲取山荘まで最後となる大ダワからの上り坂で、A氏の脚がけいれんを起こした。小生も疲れ果てており、手伝うことはとても無理だ。本人が落ち着いて脚のマッサージや屈伸を行ったことで、ようやく回復。再発してはいけないと、体力のあるT氏がA氏のリュックサックを担ぎ、慎重に歩を進めた。まもなく山荘の明かりが見え、ようやくたどり着いたのは予定より1時間ほどオーバーした午後5時過ぎとなっていた。冬山の遭難事故では、小屋の近くまでたどり着きながら直前で力尽き、死亡事故につながったとの話をよく聞くが、それを実感した次第だった。

 

夜の宴会をパス

 足取りも重く部屋に入ったが、どうも気分が悪く酒を飲む気になれない。山荘の夕食も半分ほど残した。背筋に悪寒が走る。汗をかいたまま雪上で休憩したことや体温調節をうまくしなかったのが原因かもしれない。風邪の前触れのようだ。背に腹はかえられない。夜の宴会はパスするしかない。割り勘負けは悔しいが、隣室のざわめきを子守唄代わりに早々に寝ることにした。明朝までに回復するだろうか。不安な夜だった。
 実は、この忘年会登山に参加したのにはそれなりの理由があった。娘婿殿の両親がJ大学のワンゲル部出身で、今でも度々二人で山へ出かけるのだ、という。楽しそうに山の話を聞かされてもこちらは相槌を打つだけで、どうにも共感できなかった。それで以前から登山なるものを経験してみたい、と思っていた。

 

感動のご来光

 翌朝は午前4時半起床。Y氏らは眠そうだが、常日ごろ早起きをしているので、小生は何でもない。脚の疲れがやや残っているものの、体調は良い。朝食も美味しく食べることができた。Y氏から借りた靴ひもをベルト代わりにしてズボンをはいた。今度は一人でアイゼン装着にトライしたが、今回もうまくいかず「大名登山でないぞ」などと冷やかされながら、再びS氏の支援を仰ぐことになった。
 小平のY’氏ともども同6時20分に出発。日の出の予定時刻は同50分なので、これならご来光に間に合いそうだ。アイゼンを利かせて急登を行くこと、30分で山頂到着。山頂ではすでに数人が今や遅しとカメラを構え、ご来光を待っていた。われわれの到着に合わせたかのように東の空が赤みを帯び、ゆっくりと昇ってきた。

雲取山から見るご来光

 東側の山々と薄雲はダイヤモンドが発するような光でオレンジ色に染められた。何と荘厳で神々しい光景だろう。思いがけず「世界平和と人類の幸福」を祈らずにはおられなかった。聞けば、MTB隊の面々もこの山には何度も登頂しているが、天候や到着時刻の遅れでここからのご来光は初だ、という。全員、感動の面持ちだった。

 

一路鴨沢へ

 しばらくの間、ご来光の精気を受けながら写真を撮った。鴨沢のバス停を目指し、どっしりと構えた富士山の稜線などを見ながら慎重に歩いた。予定時刻より早めに着いた奥多摩小屋前で小休止。MTB隊は気付け薬と称して、日本酒を美味そうに口に含んだ。小生は昨日の疲労に加え、下りでも疲れが出ており遠慮させてもらった。
 山道は山腹の南側となり雪が無くなった七ツ石小屋分岐点辺りでアイゼンを外した。それにしてもY’氏は昨日も今日も、(持参している)アイゼンを一度も着けることなくすたすたと歩いていた。想像以上の経験者のようだ。聞くところによると、同氏は某自動車メーカーの元セールスエンジニアで、現在は趣味が高じてプロのギタリストをやっているのだ、という。その上、カメラも趣味とかで同行カメラマンのように、われわれ一行を撮影してくれた。
 凍った山道でスリップして転んだりしながら、鴨沢のバス停へ通じる舗装道路には午前10時過ぎ着いた。バス停まではあと30分以上もあるという。大腿筋は痛くなり、膝が笑うようになった。本当に辛い。ステッキを借り、時折後ずさりして歩いた。バス停到着は午前11時ちょっと過ぎ、同8分発のバスにぎりぎり間に合った。

富士山遠望


感謝と反省の宴

 バスに乗り、ウトウトしている間に奥多摩駅着。(年に一度だが)馴染みの大衆食堂で、打ち上げとなった。ここまで来たらもう遭難の心配は無い。ビールと地酒が五臓六腑にしみわたった。昨夜、今朝と山小屋の食事だっただけにおつまみも美味かった。わざわざ田無から全員の無事生還を見届けたいと駆けつけた「わが社の」N’氏と、隣席に座ったスロバキア人で東大大学院の教授というR氏も途中から加わり、座は大いに盛り上がった。
 打ち上げもようやく終わり、奥多摩駅午後2時8分発に乗車。車中でも宴の余韻が続き、他の乗客からは迷惑そうな視線が投げられるのを感じた。田無駅に無事到着し、夢が悪夢のようになった2日間の大名登山はお開きとなった。
 最後に、何から何までサポートしてくれたH氏一行にはこの場を借りて感謝申し上げたい。そして今後、もし山行する場合は経験者のアドバイスを素直に受け止めたい、と反省した。
 皆さん、ありがとう! (了)

2011.1
(写真はT氏、Y’氏提供。文は、たまちゃんのゴーストライターY氏 )

CAST

ひとりごとの主:たまちゃん
H氏:はたぼー N氏:やぶさん T氏:あきら Y氏:にゃまだ A氏:ありちゃん S氏:しぶぢい 
Y'(ワイダッシュ)氏:山とギターの達人 N'(エヌダッシュ)氏:なかぢい 特別出演 R氏:ロマンさん


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