鎖骨骨折てん末記

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その事故は去る3月21日春分の日青梅梅郷自転車ツアーで起きた。

朝7時畑中医院に集合した西薮、中島、渡辺、渋谷、畑中は途中で有川を加えて一路五日市街道を走っていた。先頭を行く西薮はペースがいつもより遅い。(今朝2時頃まで酒を飲んでいたらしい。)立川を過ぎたあたりのコンビニで小休止。いつもはもっと先の方で休むはずなのに、なんでや?と思ったら、某○島がう○こだと。最近のコンビニにはたいていビールが売られている。まだ9時前ではあるが、景気付けに発泡酒「生黒」500mlを買って飲む。お昼のために一升瓶も買う。スッキリした顔で出てきた某中○も発泡酒を買ってきた。西薮はまだ飲みたくないらしい。

小休止後いよいよ出発。行き交う車のも少なく、空は晴れ、絶好のチャリ日和である。しばらく行くと右側にハードオフなる建物があった。中古品をリサイクルできるお店やなあーとボケ−っとその店を見ていて、ふっと我に返って真正面 を見ると、車道と歩道の境目にあるガードレールのポールが真ん前にせまっているではないか!
あっと思った時には既に遅く、畑中の体は自転車を離れて前方に飛び出し、ガードレールの真上にダイブした。
臍のあたりから右にかけてガードレールの先端で体を真っ二つにされるような感覚がある。腹が痛い.....ああ.....肋骨が.....うおぉぉぉ.....メリメリビシッという音.....。

足も手も大地についておらず、ばんざいをして胸だけでガードレールの上に乗っかった状態になっていた。 一瞬ののち足が地面に着き、ふらふらと起き上がり痛いところに左手を当てる。なんやこれは.....右鎖骨の内側三分の一のところが異常に突出していてむちゃくちゃ痛い。
右肩関節は大丈夫かとぐるぐる回してみる。鎖骨の部分に激痛がはしりゴキゴキと不気味な音がするが肩は大丈夫。どこからも血は流出しておらんし、一番大事な顔面 も無傷のようだ。 総合的に考えるにこれが鎖骨骨折というやつか......と妙に納得し、これはやはり病院にいかんとあかんなと判断した。

畑中はしんがりを走っていたのでこの事故を誰も知らん。携帯電話はいつものように不携帯なので、先で待っているであろう仲間の所へ急がねばと仰向けにひっくりかえっている自転車を起こして点検する。チェーンが外れているだけであとはなんともない。
チェーンを直し、自転車にまたがり先を急ごうとするが、痛くて気分が悪い外傷性ショックのために顔色はきっと青白くなっているだろうと思いつつゆっくり進むことにする。

血圧が低くなっているためか景色が変に見える。現実味がうすれ、バーチャルリアリティーの様な感じや。これをジャメヴ(未視感)と言う。しばらく行くとやっぱり皆が道路わきで待っていてくれた。
「どうしたの?顔が真っ青」「こけて鎖骨が折れたらしい」「大丈夫?」「なんとか大丈夫」てな会話を交わしながらとりあえず拝島まで行く事にする。 しかしやっぱり痛い。
拝島の信号を過ぎて いつも休憩をとる公園で自転車を降り、鎖骨の折れて飛び出している所を皆に見せると、「こりゃあダメだわ」と西薮が言った。 (知ってる!)

自転車を置いて兎に角病院に行ったらと皆は言ってくれるが、外傷性ショックがおさまればなんとか自転車で家に帰れると思った。一番の決め手は現在緊急性はないという事である。
骨折したところの腫れはどんどん大きくはなっていないので血管を損傷している可能性はない。痛みもひどくはなっていない。この近くの病院に行っても休日のため整形外科の医者に診てもらえる可能性は少ない。
総合的に判断して、自転車に乗って1時間程で帰宅できる距離なので、このままとっとと帰って整形外科医のいる病院に行くのが一番いいと思った。
昼飯時に楽しみにしていた燗酒を作るためのバーナー、やかん、湯のみ茶わん(はでにこけたのに全く割れとらんかった。一升瓶は渡辺に渡しておいてよかった!)を西薮に渡して、心配なので一緒について行こうという中島を制して大丈夫やからと言いつつ帰路につく。

帰りの行程は普通なら1時間で着くところ、ゆっくり注意しながらなので1時間半以上かかった。なにせ今度こけたらそれこそ救急車のお世話になる。
今まで何十回となく救急車に乗った事はあるが、全部医者として患者さんを搬送する為であり、おのれが患者として移送されるのはまっぴら死んでもイヤや。
その想いがかない、なんとか無事に(骨折ってて無事でもないか?)自宅にたどりついた。

事の顛末を話すと妻にも娘にも白い目でみられた。なにせ前科がある(自転車でこけて大きな怪我をしたのはこれで3回目)。
起きた事はしょうがない、兎に角医者に診てもらわんといかん。休日診療の案内に電話して聞いてみると、整形外科というのは近くにない。佐々病院に電話するとやはり整形外科はおらんが、外科の医者が診てくれるので昼休みが終わったら来いと。休日救急なんやから、昼休み無しですぐ診てくれと言いたかったが他をあたる事にして電話を切る。
自分が医者でもこんなとき屁のつっぱりにもならんわ...。
そこで武蔵野赤十字病院に電話する。混んでるので少し時間がかかるが、整形外科医の診察が可能だと。まさか自転車では行けんから、息子に車で連れていってもらう。

勝手知ったる救急外来は、平日の外来のように混み合っている。わざわざ休日に病気になったり怪我したりする人がなんと多い事よと自分の事を棚にあげて驚く。
受付の人は1時間半は待つだろうとのたまう。問診票に書く時に職業欄は恥ずかしながら「医者」と書き、どうされましたかのところには右鎖骨骨折と診断名を書いて出す。時計を見ると12時40分、腹も減ったし食堂で昼飯でも食って暇をつぶす事にする。
食堂は割とすいている。カツ重定食¥880を頼む。さすがにビールはメニューに無い(杏林とは大違い)。とんかつをはしではさむのはいいが、それを口にもっていくのが痛い。
腹ごしらえをすませ、また救急外来の長椅子で待つ。 むずがって不機嫌な子供をだっこした母親が多い。頭にたんこぶをつくって待っている子供もいる。人指し指を血でにじんだガーゼで圧迫止血をしながらうろうろと歩き回っているおっさんもいる。びっこをひきながら診察室に向かう野球のユニホームを着たお兄さんもいる。
病人、怪我人だらけのところでじっと痛みを我慢しながら待っているのは辛い、哀しい、侘しい。

やっとのことで呼ばれて診察室に入る。若い女医さんだ! が、徳永さんに似ている......。
事の顛末を話し、Tシャツを脱いで(これがものすごく痛い)患部を触ってもらい、レントゲンを撮るよういわれる。
Tシャツを着て(痛い)レントゲン室に移動し、しばらく待って写 真を撮る。ポーズをとらされるのが結構痛い。
また救急外来でしばし待っていると、さっきの写真はあまりうまく写 っておらんかったのでもう一度レントゲンをとるというのでまたぞろ痛いのを我慢して(今回のほうがやや過激なポーズやったからひとしきり痛かった)写 真を撮ってもらう。また救急外来で待つ。
くだんの人指し指おじさんもまだうろうろしている。子供もむずかって泣いている。当分テニスはできんやろうし日常生活も仕事も不便やろうし困ったな、ひょっとして手術せんとあかんのですぐ入院して下さいなんて言われたらどうしょう、いやそんなことはない自分の診断を信じろ鎖骨骨折だけやないか、しかし不安やなあ...などと頭の中でいろんな想いが目まぐるしく行き来する。

呼ばれて診察室に入ると、こんどは男医だ...。レントゲン写 真を指しながら、鎖骨のここが折れていますね、骨が皮を破っていないので手術は必要ありません、固定しますと言ってブラジャーならぬ 鎖骨ベルトを装着してくれる。
お風呂は構いません、2週間で痛みがとれます、4週間で動かせるようになります。ここは遠いから近くに整形外科ありますかと聞くので、高橋整形外科に行きたいので紹介状を書いてもらう。痛み止めをだしましょうと言うので、家にあるからいらないと断る。アルコールは飲んだらいけませんかなどという愚問は聞かずにおいた。やっと診察が終わった!

鎖骨ベルトのおかげで痛みは楽になったが、羽交い締めされているような格好なので手が非常に動かし辛い。時間がかかるのが予想されたので、(結局2時間30分ほどかかった)帰りはタクシーでかえるからと息子を先に返して正解だった。
帰宅してみると仲間から電話があったらしい。有川の携帯に電話して、鎖骨骨折だけであとは大丈夫なこと、黒潮には行くことを伝える。それを横で聞いていた妻は、今日も飲みに行くの?!とあきれ顔である。こっちとしては仲間に心配かけたし、元気な顔をみせて鎖骨一本だけでよかったと祝杯(?)をあげたい気分である。
顔面がざっくり切れたり、首の骨が折れたりしてたら今頃は....と思うだけでおぞましい。
ガードレールおそるべし!
(敬称略)

2003.5 (c)Hatanaka

 

 
 
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