シンゾーさんからのおたより-その7
2003.9-2

その2
シンゾウの中国語入門。概して中国語は日本語がなまったものと思ったほうがいい。図書館はトゥショウグァンだし、先生はシエンシェン、現在はシエンザイ。台北は本当はタイベイという。我現在在台北 今天天気太熱(ウォーシエンザイザイタイベイ ジンティエンティエンチー タイルー)。でも僕がしゃべる中国語がなかなか通 じないんだ。おいしいといいうのは、巻き舌にしてハオチーなのだがこれが通 じない。単純にハオツーと言った方が分ってもらえる。小姐から習っているのは公用語である北京語なのだが、北京語の正確な発音に近づくほど通 じなくなるという不思議な現象。

分かったのは多言語社会だということ。台湾に住む人々の民族的なアイデンティティは、ビン南人、客家、外省人、先住民など、多様だ。電車に乗るとアナウンスが3回ある。まず北京語、ついで台湾語、そして客家(はっか)語だ。一度この国の歴史を紐解く必要がありそうだ。と、いうわけでウェッブでネットサーフィンしてみたら、自称フリーの国際情報解説者で田中 宇(たなか・さかい)という人がいろいろ書いている。以下要約してみよう。

中国大陸から台湾に移民した最初の漢民族は、福建省南部に住むビン南人(ビンは門がまえに虫という字)だった。台湾の人々の6割強はビン南人で、彼らが話すビン南語が、台湾語と呼ばれている。

ビン南人のあとにやって来たのが客家。客家は、現在の台湾の人口の2割強。客家はもともと、古い時代に中国の政治の中心地だった中原地方(陝西省など)に住む貴族だったが、その後の王朝の滅亡とともに、流民となることを余儀なくされ、福建省などの山間部まで来て、定住した歴史を持つ。各地でよそもの扱いされたため、「客人」という意味の「客家」と称するようになった。今も福建省の客家の中には、外敵から一族を守るため、円形の城砦のような集合住宅(客家土楼)に住んでいる人もいる。 台湾の客家の多くは、新竹から竹東にかけての台湾北部周辺と、台湾中部の苗栗、南部の屏東周辺に住んでいる。

客家は、長い中国の歴史の中で少数派として不利益を蒙りやすい立場にあった。そのため古くから、子供たちに知的資産をつけることで、生きる力をつけさせようと、教育熱心な親が多かったといわれる。 客家の教育熱心さは、歴史上、多くの重要人物を生み出す結果となった。中国の_小平や胡燿邦、また古くは孫文や、その妻ら「宋姉妹」、シンガポールのリークァンユーなどは、いずれも客家だ。台湾の李登輝総統も客家で、祖父の代までは、新竹県横山郷から近い、桃園県龍潭郷に住んでいた。

外省人とは、戦後、国民党とともに大陸からきた人と、その子孫のことで外省人の多くは、台湾語を話さない。 共産党との内戦に敗残した国民党は略奪や粗暴行為をおこし、知識層を弾圧するなどの恐怖政治をしいた。結果 として、旧日本統治時代の方がよかったということになり、今日の日本びいきにつながっている。1998年李登輝総統になって、それまでの戒厳令から一転して急速に自由化の道を歩んでいる。

人口統計によると、1946年は906万人、現在は2200万人であるから、いかに多くの民が短期間に移住してきたかがわかる。言語別 にまとめると、おおむね次のようになる。公用語の北京語も古い年代には通じないことが分かってもらえるだろう。

台湾語(ビン南人) 6割強 1300万人
客家語 2割強 450万人
原住民語 2% 40万人
北京語 <18% <400万人

八月の中旬、阿里山へ行く。鉄っちゃん仲間ならあまりにも有名な阿里山林森鐵路。1914年、日本が統治していたころ檜材を運ぶために作ったものだ。今は観光資源になっているが、2003年2月には列車が暴走して死者が出たところでもある。台北から急行電車で3時間の嘉義(チアイー)からこの阿里山林森鐵路に乗る。阿里山平沼駅まで全長72.7キロ。始点駅の高度は30m、終着駅の高度は海抜2274mにもなり、その差は2000m以上。橋あり、トンネルありで山筋を縫って登ること3時間半。ディーゼル車を後部に連結して押し上げる。ここは北回帰線が通 っているので、高度が高くなると生態も熱帯、亜熱帯、温帯と変わる。阿里山森林遊楽区内は、あまり環境破壊の影響を受けておらず、雄大な自然が残っている。

写真を撮ろうと思って先頭車両に行ってみる。そこには非常用のブレーキ担当の車掌がいるだけだ。トンネルを出る間際、大きなコンクリートブロックが線路に落ちているではないか。あっと思ったが、車掌も間にあわない。そのままガツーンとぶつかる音がしたが、幸い何も起こらなかった。6.3%の急こう配もある。プレイバックじゃなかったスイッチバックも途中3回ほどある。このとき機関車の車輪がレールをうまくつかまないと、動輪が空回りする。

軌道の知識を開陳すると、これは762mmのナローゲージで俗にトロッコ軌道と呼ばれている。黒部鉄道も同じだ。レールも、マクラギも、締結装置も新幹線のものからすると、おもちゃに見える。木のマクラギに犬くぎ一本だけで締結してある。通 称ダルマと呼ばれている切り替え器。

このレポートはサルでも分かる軌道の話ということになっているから、少し分岐器についてお話したい。写 真の分岐器は角度(theta)を測って下記の公式から6番である。

      n=1/2cot(theta/2)

分岐器は通過速度が速くなるほど番数(n)の大きいものを使う必要があり、分岐器の角度が小さくなる。ちなみにヨーロッパの高速鉄道では65番があり220km/hで通 過する。日本では高崎に160km/h走行可能な38 番があるが、その他の新幹線軌道は通 常14~18番のものを使う。したがって、駅構内の本線から側線に移るときの通過速度は70km/hに落とすようになっている。

技術的には、高い番数の方が難しい。JR東日本は38番の開発に実に5年の歳月を要している。進入角度が浅いほど分岐器自体が長大になるのはもちろんだが、このほか違線進入という重大な問題が発生する。写 真の分岐器は固定式で単純な構造ですが、高速分岐は分岐の先端(ノーズ)が可動となっている。臺彎新幹線の分岐器はBWG製で最高は33番。そして可動部にはセンサーが設置され、開、閉の状態および駆動力を検知する仕掛けになっている。

ヨーロッパでは走行距離も駅間距離も長い。夜間も走るため、保線作業のときには高速分岐を使ったわたり線で反対車線に移らせ、片方の車線の補修を行う。走行距離の短い日本では夜間は上下線とも全面 ストップさせるので、高番の分岐器を使う必要はない。臺彎新幹線も実はそうなんだが……。ここまでの知識があるだけでも今まで何気なく見ていた駅構内の分岐器が急に興味深くなってきますよ。

阿里山山頂には街がある。ホテルがいくつもあり、2200mの高地は絶好の避暑地になっている。昔日本の皇族が使っていた阿里山賓館に泊まったが、調度品が立派で歴史の重みを感ずる。そこから、さらに上の祝山2500mに早朝2時半に起こされ列車に乗る。夏はよく雨がふり、前の日にはざーざー雨だったが、朝おきると写 真のような快晴でした。ここは冬くるともっときれいな写真がとれるという。当たり前だが、星が水平にも見える。感激。この地帯は森林開発で巨木はほとんど伐採されてしまったが、一部屋久杉を思い起こさせるような1000年、2000年の樹齢の檜が残っている。

ザイジエン

2003年9月
つづく

2003.10(c)Shinzo

 

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