シンゾーさんからのおたより-その13

   
2004.7


大家好。暑中お見舞い申し上げます。

東京の気温が40度にもなったとか。これは台湾以上です。気をつけてください。街のド真ん中でも木があると、あぶらぜみの鳴き声がうるさいほど聞こえてきます。こちらに来てからもうすぐ1年半になります。が、長らく住んでみても、なかなか分からないことが多い。かつて行ったアラブはコーランがすべての原点だったから、行動パターンも生活様式も分かり易かったのだが、、、。

高価なブランド商品を売っている店がある反面 、安物を路上で売っているガレージ商売が実に多い。時々警察が来て取り締まっているので、一応違法なのだが何日かすると、また集まってくる。交通 ルールの類はあるのか、ないのか。

いろいろ考えをめぐらせた結果 、これらは中国人特有の個人主義の現れではないか。交通マナーも自分が怪我をしなければいい。たとえ信号を守っても相手が守るかどうかわからない。自分の判断で信号が青だろうが、赤だろうが、反対車線だろうが、どこでも走る。ある時信号が青になってから、自転車で直進していたら、後ろからバスが右折してきた。僕は当然バスが止まるはずだと思っていたのだが、ぶつかる1m前まで勝負をしてくる。ひるんだ方が負けなんだ、この国では。

日本のやくざのような犯罪は少ないようだ。でも建設現場ではレールや締結装置が、フォークリフトまでもが盗難にあう。買う輩がいるからだが、新幹線の60キロレール(1mが60kg)は台湾には使われていないので、見ればすぐに盗難と分かるはずだ。これでは新幹線も危ない。日本では有刺鉄線を張った高い柵があり、簡単には中へ入れない構造となっているが、台湾の柵はこういう構造ではなく、高さも低いから、入ろうと思えば簡単に進入できる。

家庭では料理をあまりしないという。朝、昼、晩すべて外食。早朝は眼鏡屋も、衣服屋も自分の店先で三明治(サンドイッチ)やら、xx湯(スープ)の類を売っている。こういうところで何の抵抗もなく食べることができれば、1日200元でおつりがくる。こちらの麺はふにゃふにゃしているのが普通 で、コシのある麺を食べようと思ったら、自分で作るしかない。こちらにそば打ちの道具を持ち込み、時折そばパーティをやる。日本人にはなかなか好評なのだが、この前小姐をさそったら、「この麺は生煮えだ」と言うんだ。もう呼ばんぞ。

誘わなくてもくるんだねー。一度会ったら友達、毎日会ったら兄弟だという感覚。付き合いはほどほどにしないと大変なことになりゃせんか。こんな話をきいた。中国人小姐を日本にホームステイさせ、自分の娘と同じ部屋に住まわせたところ、娘の服を無断で着るので困ったとか。

なんでそうなるのか。お葬式はストリップまがいの格好をした小姐がバトンをもって、行進する。南の方へいくと本当にスッポンポンのもあるという。

台湾人は親切で大人しいのだが、総統選挙ははげしく長期間、いまももめている。政治家が利益団体と結びついていて、どちらが勝つかによっては金の入りが違うからである。新幹線のルートも在来線の駅から相当離れているところを通 っている。出資者は新幹線が儲かるかどうかは問題ではなく、駅の廻りの自分の土地がどれだけ値上がりするか、が関心事なのだ。

最近、ローカルのテニスクラブに入れてもらった。Happy Teamという。平均すると、50歳台。9時からでは暑くなるので、早朝6時から3時間快適な汗を流す。洪(ホン)先生は70歳くらいで日本語が達者である。前にも書いたように、この年代の人は小学校で日本語を習っている。が、今の日本語は外来語を頻繁に使うのでよく分からなくなった、となげいていた。これは同感。あのパソコンの取説は初心者に理解せよというのは無理だ。「カーソルをマイコンピュータのアイコンの上に移動し、マウスをダブルクリックせよ」だと。中国語なら、こうなる。「矢印を『私の電脳』の上に移動し、滑鼠の左肩を連打せよ」。どうです。この分かりやすさ。映画のタイトルはもっとわからん。「プライベートライアン」という映画があったが、「私的なライアン」では意味がおかしい、と思って辞書を引いてみて初めて分かった。「ライアン上等兵」なら客の入りが少なくなるか。中国語では当然カタカナがないので外来語はすべて当て字の漢字に直す。ローレックスが労力士に、ハンバーグは漢堡になったりするが。

いまでも漢文という授業があるんでしょうか。僕は高校の時、漢文はあまり好きではなかった。そして、こちらで中国語をちょっと習ったら、疑問が湧いて来た。だいたい漢詩を訓読みにして何の価値があるのかと。中国語の古文と昔の日本語は字と意味が共通 なものが多いが、そうでないものもある。’帰る’の反対は’行く’ではなく、’去’。赤は裸という意味で紅が日本語の赤、また走は歩くで、走るは足へんに包と書く。この類はまだまだある。わざわざ返り点を打って、訓読みして大体の意味が通 じたからといって、けっして本当の中国語が理解できるわけではない。もし、中国語を習いたいなら、音読しなければ、意味がありません。漢詩には韻があるからこそ、詩としての価値がある。日本人の書いた漢詩なぞ、漢字を並べただけであれは中国語ではない。関係者の猛省を促したい。

書いていると興奮してきたが、この前藪さん達も訪れた花蓮(ファーリアン)に行った。東海岸にあり、3000m級の山々が海岸近くまで迫っている。この奥地には急流により侵食された大理石の断崖絶壁が続く大魯閣(ダールーガー)峡谷。険しい岩肌をむき出したトンネルが蛇行する九曲洞や切り立った岩肌が迫る。この岩は機械では掘れないので、すべて手掘り である。日本統治の初期、徳島県吉野川流域から移住した者が多かった。先住民のアミ族、タイヤル族との暴動があり苦労した、と書いてある。次第に共存の範囲を広げ、厳しい自然の中で力を合わせて開拓してきた貴重な歴史をもつ。

再見
2004年盛夏

2004.7(c)Shinzo

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