SUNDAY MAINICHI-3

2011.9-10 

ぼくの見たバルカン (2011年9月24日〜10月11日)-その1

 バスと自転車でバルカン諸国をめぐる。このような旅は普通のツアーでは行けない、いや行かないところを訪ねることができる。地域の人との交流もある。この企画はシルクロード雑学大学(代表長澤法隆氏)の手作りで、ぼくはこれに乗っただけというイージーなものです。  
 自転車は飛行機で運ぶと330ユーロもかかるそうだ。そこであらかじめ現地のツアー会社とレンターサイクルの契約をする。無理はしない。交通量の少ないところを自転車で走り、あとはバスを利用する。サイクリスト9人中女性1人を除いて平均年齢は60歳台。でも皆さん健脚でした。
 ブルガリアのソフィアから、南へ下りギリシャの北部の都市テッサロニキへ、その後西方のエデッサ、コザニと田舎の街を走りアルバニアへ。アルバニアではレンターサイクルがないのでバスに乗りデユレスに一泊した後、モンテネグロへ入る。最終地はボスニア・へルツエゴビナのサラエボです。全行程17日間の楽しい旅でした。 (地図を見る) 
 バルカン諸国は民族や宗教が複雑に入り込み、紛争が絶えない。このためヨーロッパの火薬庫とも呼ばれています。古くはオスマントルコの侵入、2度の大戦を経て共産党支配の時期もあった。概して雨は少なく土地は乾燥している。そのため、日本に比べれば野菜や果物の種類も限られています。ブドウ、トマト、トウモロコシ、リンゴ、ナシ、ざくろ、柿、ピーマン、たまねぎ、うり、かぼちゃ、なす。葉物の野菜はみあたりません。食べ物は塩辛い加工食品が主で、食べる量が多くみんなメタボ気味。これでは長生きはできませんね。改めて日本の四季と日本食のすばらしさを痛感しました。

ブルガリア
  この国は1393年以降500年間もオスマントルコの支配を受けた。その後はロシアの保護区になり、国土は半分に縮小され、1908年王国として独立した。第二次大戦ではナチスドイツと軍事同盟を結ぶ。1944年ソ連の侵攻を受け、ソ連の衛星国家となる。1989年共産党政権が崩壊し、2007年EUに加盟した。  
 通訳のミリツァによるといまでもトルコに対する印象はあまりよくないという。9月 25日は日曜日。8割強の人はブルガリア正教徒で教会ではミサの行事。ブルガリアはぶどうとバラが有名。5月に来れば、文字通り酒とバラの日々になっているはずです。ブルガリアヨーグルトがあまりにも有名になっているので、ヨーグルトはあまり好きではないぼくも話のネタにちょっとだけ試食してみた。すっぱーい。でもこの酸味の強いのが伝統的なブルガリアヨーグルトなんだと。最近はだんだん酸味もすくなくなったそうだが、それでも日本人に日本製のブルガリアヨーグルトの方がいい。

ソフィアのホテルから
ソフィア市内の歴史的な建物-1
市内の歴史的な建物-2
市内の歴史的な建物-3
市内の歴史的な建物-4
市内の歴史的な建物-5
アレキサンダー・ネフスキー大聖堂-1
アレキサンダー・ネフスキー大聖堂-2
1999年10月12日 ブルガリアとの国交回復を記念して桜を寄贈
日曜日の朝市
ここで市川さん(注)が掘り出しもののアンティークのバイオリンを110ユーロで仕入れる 
バイオリンを作っている市川さん曰く「ちゃんと直すと30万円になる」
ナチスドイツの鉄カブトも売っていた
レストランにて
市内の電車

 

 歴史博物館に行って初めて知った。古代文明発祥の地としてBC4000年ころの遺跡が発掘されている。 

これは市内で発掘されたローマ時代の遺跡

 

 ソフィア大学日本語科の教室をたずね、一人5冊の本を寄贈しました。ここにはNPOから派遣された日本語教育専門家の飯尾幸司先生が指導に当たっておられます。学生の日本語のレベルもかなりのものです。日本語を勉強するきっかけは日本の漫画とアニメだそうだ。東日本大震災の被災者の人をはげますメッセージをお願いしました。これらは被災地へ送り、励ましの会で報告することになっています(長澤代表)。

左端は主任教授、右端は飯尾先生
記念撮影

 

 ソフィアから南へ100kmほど行くと世界遺産になっているリラの修道院がある。オスマン帝国支配下でキリスト教信仰を制限されつつも修道院としての活動が続けられた。

修道院の中

 

 リラより自転車に乗る。

出発
途中で88歳のおばあさんがぶどうをプレゼント

 

 ブラゴエヴグラト〜サンダンスキ

地形がめずらしい(メルニク国定公園)
バルカンはどこもオレンジ色の屋根だった
なぜか上になるほど飛び出ている(メルニク)
露天商(ギリシャ国境が近い)
コウノトリの巣

(注) 市川さんは元小学校の校長先生。バイオリンを弾くのが趣味ですが、高じてバイオリンの製作も手がけている。ある時、モンゴルの馬頭琴の楽団がもっていた楽器がこわれ、困っていたところ市川さんのことを知り、馬頭琴の修理も手がけた。その縁でモンゴルにも行った。八王子の住人。 興味のある向きはhttp://ameblo.jp/mongol/entry-10448151955.html  (本文に戻る)

つづく

(C) 2011 Shinzo