ぼくの見たバルカン-その2 ギリシャ
(2011年9月24日〜10月11日)
国家破綻の危機が迫っているギリシャは果してどんな状況なのか。途中昼食に立ち寄った田舎のガソリンスタンドのオーナーとサンドイッチをかじりながら話をした。曰く、「もうこの商売はやっていけない。ガソリンの販売価格は1リットル2ユーロ。1000リットル売って儲けは50ユーロにしかならない。一部の政治家が悪すぎる。この地域の天気は90%が晴れ。次は太陽光発電に投資だ。」と。
ギリシャ北部にある第二の古都テッサロニキに入る。(地図を見る) 彫の深い顔形のためなのか、あるいは憂いをたたえた表情なのか、何か暗い印象がする。ウィークデイの夕方、店は開いているが客は入っていない。レストランも多くの椅子が空いている。公園では共産党系のデモ。カフェテリアで食事中に子供が何やら物売りに来る。観光以外に産業がない。労働人口の4人に1人は公務員。仕事がないのか、やる気がないのかウィークデイの朝のカフェテリアは人が混んでいる。ブルガリア人のミリッツァが言う。「私たちより高い給料を貰っているのに何で助ける必要があるのか」と。これがまわりの国の本音だ。ギリシャ野郎もイタ公も同じケセラセラの人種だからこりゃ大変ですゾ。次に訪れたアルバニアでは最近ギリシャから逃れてアルバニアで農業をする人がでてきたと聞いた。
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途中の湖にはペリカンがいた |
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丘からテッサロニキの街を望む |
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テッサロニキ城壁(ビザンチン時代) |
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アゴラ遺跡(BC2世紀) |
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街の中の遺跡 |
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アートか落書きか |
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歴史博物館の屋上より 海はエーゲ海 |
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金曜日の朝10時ころのカフェテリア |
アレキサンダー大王(BC356 - 323)の生誕地ペラを訪ねる。アレキサンダー大王はマケドニア王フィリッポス2世と王女オリュンピアスの間に生まれた。王に招かれたアリストテレス(BC384-322)が家庭教師にあたった。
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ペラの遺跡 |
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アレキサンダー大王の像(右手に勝利の女神像) |
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遠征経路 |
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遺跡から発掘されたタイルに描かれた絵 |
ペラからエデッサ
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綿花が主要な産物 |
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エデッサは小さな小奇麗な町だった。 |
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近くの湖には白鳥 |
エデッサからヴェルギナ
ヴェルギナはフィリッポス2世(BC382−336)の墓があるところで観光地となっている。円墳の入り口を入ると中は広く博物館になっている。フィリッポス2世の骨は金製の骨箱の中に保存された。
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ナウサの近くにあるアリストテレスが開いた学校 |
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アリストテレスの像 |
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ヴェルギナの家並み |
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フィリッポス2世の円墳 |
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この部屋の中にフィリッポス2世の骨箱があった |
ヴェルギナからコザニ
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途中で休憩 |
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左端はギリシャ人のメタボガイド(体重160キロ)とレストランの女性と |
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田舎道の風景 |
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コザニのホテル前 |
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日曜日の特設マーケット 人手は多いが安い日用雑貨を売っている |
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通りにはところどころキリスト教のものが置いてある。ほとんどの壁には落書きがある
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コザニからカストリア
カストリアは湖に面した古い町。ミンクの毛皮が産物らしい。
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通訳のミリッツァ |
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後ろを走っているのが長澤さん |
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風景 |
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途中の遺跡に立ち寄る |
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カストリアの湖 |
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ギリシャ正教会の神父さん |
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カストリアの町の一角 |
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ビザンチン時代の教会 |
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ギリシャからアルバニアへのパスポートコントロール |
つづく
(C)
2011 Shinzo
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