ぼくの見たバルカン-その3 アルバニア
(2011年9月24日〜10月11日)
アルバニアは1478年以来400年間に亘ってオスマントルコの支配を受け、支配階層によるキリスト教からイスラム教への改宗があり、アルバニアの約半数がムスリムになったという。19世紀末には民族意識が高揚したが、第一次、第二次世界大戦を経て、1946年には共産主義政権が成立する。その後、中ソ対立、中国の文化大革命などの影響で外国からの援助も途絶え、ヨーロッパ一の最貧国になった。1992年の総選挙で非共産主義が誕生する。しかし、ねずみ講で国民の3分の1が財産を失い、暴動が発生し、無政府状態になった。暴動収集のため、妥協案として総選挙が実施され、アルバニア社会党が与党となった。2009年EUに加盟。
歴史に翻弄されたアルバニアはいまだに貧しい。コルチャはアルバニア民族運動の拠点のひとつで、1887年にはアルバニア語による初の学校が設立された。この設立にはオスマントルコの独裁政権に反発してカナダやアメリカへ逃れた富裕層からの援助があったという。一時、学校閉鎖の命令が出されたが、民族衣装をまとった住民約一万2千人が銃を持ってこれに立ち上がった。
アルバニアの人口は300万人強。天然資源にはクロム、銅、ニッケル鉱がある。共産主義時代に建設した古いクロム鉱の精錬所は運転停止後も放置されたままで公害問題になっていると聞いた。英国人のガイドが言うには、徐々にではあるが経済も上向いてきている。ギリシャから逃れてアルバニアで農業をやる人も出てきた。
アルバニアは起伏の多い山がちな地形。レンターサイクルがないのでバスのみの旅行となりましたが、ここにくる日本人は多分いないでしょうねえ。(地図をみる)
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バスの車窓から |
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コルチャ市内 |
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コルチャ市内 |
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何でも売り物にする |
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コンクリート材料も秤売り |
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昔のミゼット? |
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民家 |
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アルバニア初の学校(今は博物館になっている) |
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アルバニア正教会 |
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やおやさん♪ |
コルチャからドゥラス
途中のポグラデツはオフリド湖畔にある町で、かつての独裁者の釣り用の別荘地がある。 ドゥラスはアドリア海に面したリゾート地をめざしているようだが、その割りには人が少ない。カジノもある。
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車窓より |
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ポグラデツ 地元のレストラン |
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そこの湖でとれる鱒を料理してくれた |
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別荘地の池 なぜかここにも白鳥 |
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山を越える |
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途中泉があり、四六時中水がでている |
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鉄道(貨物用で現在も営業中) |
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エルサルバン城壁(入り口) |
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エルサルバン城の前の道路はローマとコンスタンティノープル(現イスタンブール)を結ぶシルクロードだった |
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城の周辺の道端では体重計 こんなんで商売になるの |
ドゥラスからモンテネグロとの国境
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遺跡 |
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円形劇場のあと |
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案内してしてくれた円形劇場のガイド(左)と我々ツアーガイドのエディ(右) |
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スローライフはいかがでしょうかあ |
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山上には何かがあるはず |
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昼食に立ち寄ったアンティークレストラン(シュコダル) |
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その内部 |
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市川さん、民族楽器を弾いてみることに (弦は牡の馬のしっぽ) |
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ナンとカバブの料理
テーブルクロスをみやげにもって帰りたいとオーナーに言ったら、近くで製造している工場へ案内してくれた
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その工場で (今日は工場にとっては特需だった) |
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モンテネグロとの国境 |
つづく
(C)
2011 Shinzo
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