SUNDAY MAINICHI-10.2

2013.8 

シルクロード_キルギス(イシククル湖一周)の旅  つづき (2013.7/30〜8/10) 

 

8月5日 バルスコーン渓谷へいく。

 この道は金鉱山へ通じる道なのでガソリン補給のトラックが列を組んで上ってくる。だが、この道も昨晩の洪水で破壊されていた。重機で復旧の作業中だったが、2時間の足止め。3800mの地点まで車でのぼり、下りは自転車で2200mのダウンヒル。不思議なことにこんな高地で魚釣りをやっている。玄奘三蔵はこの道を歩いた。

途中の風景
鉱山へのトラック
復旧作業中
バルスコーン渓谷(3800m)玄奘三蔵はここを通った
魚つり
ダウンヒルは素晴らしかった
夕食には仕入れたあの魚が天ぷらに

 

8月6日 タムガから塩湖 へ(80km)

 途中スカスカとかいう奇妙な地形のところがある。昼食は社長の息子の嫁さんの実家で接待を受ける。前から準備されていたようで、ここで出された羊の肉はうまかったね。ぼくは日本でもヨーグルトは食べない。が、キルギスではその手の食べものが多い。馬乳酒はまだいい方。羊の乳から作った白い丸いボール状のクルットというやつは、大抵の日本人もダメらしい。ウオッカを飲んだらあとは車です。塩湖は最近観光化して来た。一年前は 宿泊用のユルタも少なかったと長澤さん。塩分濃度は7%程度でしょうか。

ゲストハウス前で
スカズカ
このあたりの湖は美しい
カルトリベックさん宅で接待
塩湖
塩湖のほとりのユルタに泊まる
スカズカでタクシーを待っていたスロベニアの4人組(社長が車で塩湖まで運んであげ喜んでいた)
塩湖で泥治療?
夕食
早朝の景色

 

8月7日 塩湖からビシュケク へ

 午前中に途中のバリクチまで60km走破した。あとは車でビシュケクまで200km。 ホテルはこの日、我々3人のみ。翌日も京大のチームが3人加わっただけだ。トイレも水が止まらなくなったり、フロントの脇にはウォーターサーバーはあるが、コップがなかったり。ここは大丈夫か。京大チームはアジアの水処理技術の調査にたずさわっているK先生、遊牧民の歴史を研究している大学院生のIさんに、大使館員のTさん。

ビシュケクの街で
Sayakat Hotel
ホテルから朝焼けの天山山脈

 

8月8日 遺跡観光

 ビシュケクから東へ60kmほど未舗装のガタガタ道をハンドルをきりながらいくと玄奘三蔵が訪ねたというクラスナレイチカとアクベシム遺跡がある。アクベシム遺跡では旧ソ連の考古学者が仏像の遺跡を発掘した。その後は栗本慎一郎さんらが21世紀になって再調査しているが、今は打ち捨てられた状態になっている。クラスナレイチカもこアクベシムも7世紀には首都的な重要な場所だったらしい。
  さらに東へ行くとプラナの塔がある。11世紀に建てられたが、当時はカラハン朝の都の1つで高さが45メートルあった。しかし、15,6世紀の地震で崩壊し、現在は24メートルになった。この塔の周辺は石人が展示され野外博物館となっている。これらの石人はキルギス各地から集められたもの。墓地の石という説がある。
  今日はキルギス最後の日となりました。Jumadyl社長のお兄さんの経営するレストランへ招待されました。レストランというよりいろいろユニークな建物があり、食事の出来る遊園地という感じで家族で楽しめるように設計されている。ここで食べた羊の肝臓(?)は美味でしたね。

クラスナレイチカ遺跡

アクベシム遺跡

プラナの塔
石人
食事の前にツアー
社長と従業員
羊の肝臓?

 

 雨があまり降らないので植物も乾燥地に適した種類が多い。
 通訳が辞書をみながらヘビのボラズというもんだから、変な名前だなあと思っていた。あとで調べてみたら、"へび上らず"と発音する。
 写真には収められなかったが、ここにも台湾やドバイで見たあのヤツガシラがいたのだ。調べたらこの鳥は渡り鳥でした。天皇のエピソードも載っていたので下記に引用。
 皇居に1個体が飛来したとき昭和天皇が観察を行っていた。この時、天皇は皇居内の畑で芋ほりをしており、ヤツガシラを見つけた途端、侍従に急いで双眼鏡を持ってくるように命じ、事情のわからない侍従は「芋を掘るのに双眼鏡が何故いるのですか」と聞き返したという。見たことがない人のためにインターネットにあったものを載せます。「どうだ、このテッペンのかざりは。まいったか」と訴えていますよ。

 
薬草
ヘビノボラズ(とげが多いのでこういう名前になったらしい)
これは野鳥ではなかった。七面鳥の一種

 

 帰りのアルマトゥイの空港での出来事。ぼくと長澤さんがベンチにすわってビールを飲んでいたら、警察官がやってきて「ここではアルコールを飲んではいけない。ちょっと来い」という。「ビールはカフェテリアで買ったんだ。どこにも飲んではいけないと書いてないじゃないか」と言ったが、英語が通じない。警察官がつれてきた航空職員に説明したところ、一応帳簿に記録していたが、事なきを得た。買ったところで飲めばOKだった。しばらくして中国人がベンチでかばんから缶ビールを出し飲みはじめた。警察官とは言葉はお互い通じないし、この国へは初回ではなさそう。えらくしぼられかなりの額の罰金をとられたらしい。キルギスも7割はイスラム教徒だと通訳が言っていたが、彼はモスクに行ったことはないという。飲んだらダメなほど厳しいのなら中東の国のようにそういうものは売るなっつうのだ。

 今回の旅は実に楽しい旅だった。天山山脈の美しい山々。イシククル湖周辺で自然とともに暮らしている遊牧民。物質的には豊かとは言えないが、スローライフを楽しんでいるように見えました。自転車でゆっくり走ることでその国の人々との交流もあった。中央アジアの旅にはロシア語が出来ればもっとよかったが。

 来年はキルギス南部、再来年はサマルカンドの計画が持ち上がった。 長澤さん、そしてJumadyl社長ありがとうございました。

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