多摩リハビリテーション病院から 1

皆さま
長らくご無沙汰しております。 もうすぐ年もかわりますが、お元気でしょうか。たびたび来院してはげましていただきありがとうございます。
スーパージジイも情けないことに相成ったわけですが、ざっくりいえば下記の通りです。

オラは死んじまったダー。南無大師遍照金剛。チーン。月命日は28日。
病名は中心性脊髄損傷。首の上から下へ脊髄は C1(即死)、C2(呼吸器による生命維持)で、ぼくはC3、C4損傷だった。

段差約50センチに気付かず頭から自転車ゴト転落。外傷 はなかったが 、手足が麻痺している。
救急車でICUへ入れられ昼も夜も分らぬまま48時間。その後脊髄損傷スタッフの整った村山医療センターへ移ったある夜だった。バーチャルなのかリアリティなのか目に映る景色がどこかおかしい。よく見ると自分の病室が防犯カメラで撮ったような変なことになっている。その中に自分がいる。
試しにナースコールに口付けすると、「どうかしましたか」と現実にナースが現われた。あとで産婦人科医の友人がいうには、こういう話はたまに耳にするという。
脊髄損傷は程度の差はあっても手足の激しいしびれと痙性(けいせい:筋肉の収縮と痛み)が伴う。痙性以外に急激な血圧低下と呼吸、腸のぜんどう運動、膀胱などの筋肉のゆるみがある。ある程度薬が役立つが、機能の回復にはリハビリテーションしかない。3週間後、足の親指は5mm程、右手の親指は2、3mm程動いた。神経が完全に切断したのではなさそうだ。

現在は自力歩行と左手のリハビリの途中にある。いつ回復するのか、しないのか。時には心が折れそうなこともあったが、励ましていただき感謝している。10月から多摩リハビリテーション病院へ移ったが、今のリハビリチームは優秀だ。

振り返って見ると、ぼくは過去様々な局面で、これはピンチと思われた時、不思議なことに助け船がでてきた。
今回車椅子の生活になったが、障害者の気持ちも分かった。いままでぼくを応援、はげまして頂いた皆さまに感謝しています。ではまた。

shinzo 
投稿日:2017年11月11日(いい日だ)  

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