四国八十八ヵ所巡礼の旅 -2 (2011.3/3〜28)
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昨日の宿では北海道から4人、大分からも来ていました。車での遍路でしたが。
今日は 好天気にめぐまれ、快調に飛ばしました。11番藤井寺から12番焼山寺へは山道のため自転車では行けません。一度徳島方向へもどり、17番井戸寺、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺、13番大日寺へ逆まわり。それから焼山寺へのふもと神山町のさくらや旅館へ。大日寺に「人生即遍路」とありました。みなさんには迷いはありませんかあ。
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藤井寺 |
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井戸寺 |
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観音寺 |
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国分寺 |
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常楽寺 |
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大日寺 |
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神山町へ行く途中の風景 |
さくらや旅館に着いたのは3時ごろ。これなら焼山寺まで行けるんじゅあ。と、とある人が言い出し、荷物を宿に置きチャレンジすることに。さすがに難所でしたわい。頂上まで車道を自転車で走っても行けますが、5時の納経の締め切りに間に合うかどうかという時刻になり、必死に遍路道を自転車を押して駆け上りました。4時50分、やっとへ焼山寺に到着。焼山寺は標高800m。帰りが遅いので宿の人は納経に間に合わなかったのでは、と心配していた。宿の人の話では、今年は遍路さんの数が少ない。特に関東、東北からのお客が。この日の走行距離は75km。
<3月6日(火)>
昨日焼山寺に行ったので、今日はルンルンと思っていたが、そう甘くはなかったね。
18番恩山寺、19番立江寺をまわる。その後、予定では22番平等寺、21番大龍寺だったが地元の人の言うことを信用し、先に20番鶴林寺に変更。
焼山寺ほどではないが、鶴林寺も山の上にある。標高500m。自転車をふもとにおいて、片道2.6kmの遍路道を歩いて往復した。登山道を往復するだけで2時間もかかった。焼山寺も鶴林寺もよくもこんな高いところに寺を建ったもんだ。鶴林寺からは21番大龍寺のふもとの坂口屋まで走る。チャリンコでの走行距離は67km、だったが、今日は山登りで疲れた。こりゃ、てーへんだ。
恩山寺では阿南市に住んでいる親友のIさんが駆けつけて呉れた。Iさんはもともと中学校の理科の先生になるはずだったが、先生になりそこねて、地元の日亜化学に就職した。何が幸いするか、人生は分からないものだ。当時の日亜化学は蛍光灯の蛍光材を生産していて、彼が入社した時は社員数は70名ほどだったという。のちに中村修二氏が入社し、青色発光ダイオードの開発に成功する。先代の小川社長も偉かった。経営的に苦しい時期にも拘わらず、世界で誰も成功していない青色発光ダイオードの開発に賭けた。今は世界的に超有名な会社になり、社員数7000人にまで成長した。Iさんは工場長として活躍したのできっと血沸き肉踊るようなオモロイ経験をしたはずだ。こういうのはその人の運としかいいようがありませんね。仮に学校の先生になっていてみなさい。県教委と日教組のサンドイッチ攻めに会い、どこかの校長先生のように命を投げ出す羽目になっていたかも。Iさんからは多額の安全祈願の寄付があったので、簡単には巡礼の旅をやめるわけにいかなくなった。
立江寺では地元の立江小学校4年生の生徒が先生に引率されて接待をしてくれる。みんなそれぞれ想いの記念品を手作りして、これを受け取ってください、という。一年に一度こういう催しをするらしいが、たまたまそういう機会に遭遇して感激しました。
<3月7日(水)>
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恩山寺 |
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立江寺 |
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接待をしてくれた立江小学校4年生の先生と生徒 |
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鶴林寺への遍路道を歩く |
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鶴林寺 |
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