シンゾーさんからのおたより-その20

   
2005.9

ニーハオマ?

この前の台風が去ってから、また真夏に戻った感じがします。こちらでは9月17〜19は中秋節(ツォンチョウジエ)。一年間で正月についで重要な季節。月餅を売る店の前には行列が出来る。

以前台湾で一緒に働いていた御仁より『こんな情報が載っていたけど』、と記事を送ってくれた。

台湾メディアは、「台湾新幹線の事業会社である台湾高速鉄路公司が8日、今年10月末を予定していた開業を2006年10月末に1年間延期することを決めた」と報じた。借入金の利払い増などにより、計画コストは当初の4607台湾ドルから4800億台湾ドルと、193億台湾ドル分増加する見込み。

まー、これはいまさらという感じですね。台湾高鉄もようやく実態を公表することになったわけだ。まえからぼくが言っているように、このプロジェクトは最初から間違っている。

安全を第一番にしなければいけないのに、素人がぐちゃぐちゃ言って政治的に解決しようとする。 ほんまに危ないでっせ。 橋とかトンネルとかはBOT(Build-Operation-Transfer)方式でも結構だけど、高速鉄道では問題がある。道路は一回ちゃんとつくればあとはあまり保守はいらない。しかし、高速鉄道となると話がちがう。軌道は常に壊れるもの。そして300km/hで走るには、レールの敷設精度(軌間、高低、通 りなど)はミリメートルの単位で保守する必要がある。一般の工事とは一桁も二桁も要求される精度が違うんだ。走らなくても大雨でも降れば歩いて確認する必要がある。最初は民間が建設・運営し、35年たったら国に返す、というのは反対じゃありませんかのー。ちゃんと国の機関が安全を確保するようにしないといけません。今軌道保守のトレーニングをやっているが、鉄道は未経験の大学出のエリートばっかり。本当に必要なのはエンジニアではなく経験豊富な現場作業員なのに。 ぼくは200km/h以上になったら乗りませんよ。危ないですがな。

衆議院選挙。自民党は大勝利で舞い上がっているかもしれないが、日本の国も言っちゃ悪いが危ないよ。国民みんな単気筒、いや単細胞かい? 小泉総理は郵政民営化のワンフレーズしか言わない。衆議院の2/3もとれば、相当なことができるはずですぞ。本当に。小泉総理が改革をやるつもりなら、自分の任期の間は消費税をあげない、なんてこたー言わずに、正直に消費税は10%にします。そのかわり、官僚も国会議員も2/3にします、と言いなさい。そしたらぼくは鎌をふんどしにしても応援してもエエが。これって、食い込むと結構どころか相当痛いのでありますが。

亀井静香先生も同じような憂国の士のようなことを言っているが、内容は既得権益のよろいが見え見え。国会議員になったら地方への利益誘導ではなく、広く日本全体のことを考えてほしいネ。以前吉本興業の社長が亀井先生ならぜひ採用したいというとったが。ぼくの故郷の隣の広島6区。とくに庄原地方、よく考えなはれや。国、地方併せて700兆円も借金があり、そしてこれが年々増えているんだからこれは大変なこってすぞ。今の若い人には年金も出ない。賃金も上がらない。国債をなんとかしようとすればインフレにするか、究極は日銀がお金を刷るしかあるまい。その時は1ドル200円。ぼくは預金の半分はドルでもっとるから、どうなってもよござんすがね。皆さんはどうですかぁ。

2ヶ月前台湾のハードコートでテニスをやったら膝の靭帯をいためてしまった、ということは前に話した。こういう時、ぼくはウジウジとくやんだりしなくてもいい。テニスが出来ないのは正直つらい。が、こちらですばらしい仲間がいる。 Fさんというバードウオッチングの達人がその人。急遽テニスからバードウオッチングに切り替えた。野鳥も、野蝶も、そして夜蝶も。いままで何回か一緒に山を歩いたが、台湾では鳥も胡蝶も種類が多くてすばらしい。ぼくだけ見るのはもったいないので、この前帰国した時一眼レフのディジカメに400mmの望遠を奮発した。これで約8倍の倍率。今度はいい写 真を掲載するぞ。バッチイけど台湾の生活にはまってしまったかもしれない。乞うご期待。

ゴイサギ(中国語では夜鷺)

タイワンオナガ
ホテイアオイ(台湾大学の池に咲いていた)

もうひとり、やはり得がたい人がいる。長崎出身のOさん。糖尿病とか本人は言っているが、酒はがばがば飲むし、見たところ元気印を絵に描いたような人。写 真の腕もなかなかのもの。以前香港で撮った写真で賞をもらったとか言っておりました。このOさんが言うんだ。
「最近インターネットでいいヨットが売りに出た。この仕事が終わったらアメリカまで買いに行くべ」と。
「でもどうやって日本まで持ってくる?」
「わしゃ乗って帰るバイ」
どこまでが本当か。でもこの人ならやりかねない。前はヨットを持っていたが、金がなくなったから、台湾に来たという電気エンジニアの御仁。日本に帰ったらぜひ長崎に来てくれ、とのこと。

同じフロアで働いていた70何才かのクリスピンさんが風邪をこじらせて、急になくなられた。好好爺で感じのいいイギリス紳士でした。本国からご家族が来られ、ホテルでパーティをするから来て欲しいと。こういう年齢でしかも現役でなくなられたら、イギリスでは涙なし、のお別 れ会。案内状には"Chrispin's Final Respect"と書いてありました。娘さんが出席者全員にワインをついでまわる。ぼくは感激しましたね。実に素晴らしい言葉です。ぼくももう61歳。ここでくたばっても悔いはないね。是非Final Respect、これでお願いしますよ。

台湾大学の広いキャンパスを散策してみた。ここは元帝國大学で東京、京都についで3番目。台湾中の秀才が集まってくるところ。李登輝元総統は京大で学んだ後、ここの農業経営学の教授だった。蚊に食われながら撮った写 真(上の3枚も)を送ります。

 

再見 い

2005年9月

 2005.9(c)Shinzo

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